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暦解説.読
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1994-10-11
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86KB
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1,263 lines
ハ
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--------------------------------------------------
暦解説.読 初版第二刷第五改 (ver. 1.1.5)
**暦に関する解説**
(c) 1994, 桃里風(MXB02102 @ Nifty-Serve)
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1. はじめに
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この文書では「媛栗暦」初版第二刷で対応している暦注や二十四節気・雑節などについて解説するとともに、関連する天文知識や暦法の知識、その他暦の周辺知識などをまとめました。なお、文中の天体に関する数値は、全て理科年表(参考文献(5))を参考にしています(第16回国際天文学連合(IAU)総会(1976年)の決議による、西暦2000年1月1.5日の値です)。
ちなみにこの文書は、章題や節題がsetext形式になっていますので、setextのビュワー(Mac用では、D. Ali Eyler氏によるフリーウェアEasyViewなど)で読み込んで閲覧することもできます。
2. 「暦<こよみ>」について
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「暦」は、その用法によって大きく三つに分類できます。一つは、「年」や「月」などの周期を「日」を計上することによって確認をする「calendar」、二つめは暦注や祭事・農事に関する事柄、および生活に密着した天体などの情報に重きが置かれる「almanac」、そして3つめが天体の位置や天文事象などの情報を正確に記載した「ephemeris」(「天体暦」あるいは「航海暦」)です(参考文献(13))。日本語では旧来よりこれらを全て「暦<こよみ>」と言っていましたが、最近では、あえて「暦」と言う場合は「almanac」の用法を意識している場合が多く、普通の用法だと日本語でも「カレンダー」と言う場合が多いでしょう。
○日めくり暦
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明治以前の日本においては、暦といえば、一年分の節気・雑節・主な暦注を記載した年の略暦や、今日の神宮暦のような一覧表形式の略暦しかありませんでした。年の略暦なんかはもう最近では作られていないようなので、見たことがない人が多いとおもいますが、時代劇なんかでよく壁に貼ってあったりします。
では、いわゆる「日めくり」がいつ頃お目見えしたかといいますと、明治三十年代終り頃に、西洋で使われていた卓上カレンダーを摸倣して作られたのが始めといわれています。当時の日本の家庭では常時備付けの机というものは珍しく、必要に応じてちゃぶ台を用意するのが一般的で、「卓上」のままでは使いづらかったため、柱に吊るすという方向へ発展していって、現在の「日めくり」になったわけです。
3. 暦と天文学
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暦について論じるとき、天文学 [astronomy] に関する基礎知識があると、より深い理解が得られます。そこで、天文学の基本的な事項について記しておくことにします。
3.1 天体の見かたと暦
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現代の科学教育を受けた人々にとって、天動説が地動説によって覆されたということは周知の事実になっています。しかし、暦や天体観測の天文学の立場では、実は天動説的な論の展開がよく行われます。かえって、天動説の方が都合のよい場合すらあるのです。これは、天体を観測する主体、あるいは暦を使用する人が地球上に住んでいるからに他なりません。実際、暦は、地動説が云々される16世紀より遡ることはるか数千年前から存在し、きちんと用を為してきたではありませんか。暦で着目する天体が主に月と太陽(と恒星)なので、天動説でも計算上大きな問題がないのです。これが、たとえば火星などといった惑星に着目することになると、地動説で考えないと非常に厄介になるのです。実際、火星は古代ギリシアなどでも「天文学の困りもの」などといわれて、天球上に描くその複雑な運行がもてあまされていました。逆に、惑星のこの様な複雑な運行に神秘性を見て、占星術が展開していくことにもなったわけです。
3.2 天体の位置の指定法と用語の定義
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○ 天球と太陽の運行
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天文学では天体を、観測者を中心にした非常に大きな半径(通常無限遠とする)の球面上にあるものと見なして、この球面を「天球 [celestial sphere]」と呼びます。太陽系外の星は、天球上に貼りついて天球の回転と共に回転するものとみなして「恒星 [fixed star]」と呼びます。恒星に対して云々、といった場合には、天球に固定した座標に対して、ということを意味します。また、地球の赤道を天球に投影したものを天の「赤道 [equator]」と呼びます。
太陽は、「年 [year]」の単位で天球上の恒星に対して大円(球を丁度半分に分けるような線)を描いて一回転します。この大円を「黄道 [ecliptic]」と呼びます。黄道面は天の赤道面に対して約23.44°の傾きを持っていますが、これは地動説的にいえば、黄道の成す面=地球の公転軌道の成す面なので、地軸(地球の自転軸)の(公転軌道面に対する)傾きが反映しているものです。
黄道と赤道は2点で交わりますが、一方の交点を「春分点 [vernal equinox]」、他方を「秋分点 [autumnal equinox]」と呼びます。文字通り、黄道上のこれらの点に太陽が位置する瞬間が春分・秋分で、特に「春分点」は、後述する黄道座標での基準点ともなっている重要な点です。
天の赤道は実は、黄道に対してだいたい71年に1°の割合で動いています(したがって、春分点と秋分点も動きます)。これは、地球の自転運動が約2万5770年の周期を持った「歳差運動 [precession]」(いわゆる、みそすり運動)になっていることによります。
○ 座標系
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天球上での天体の位置を指定するには、一定の規則に基いて座標系を設定しなければなりませんが、天球は無限大の半径を持つものとしているため、天体の距離関係は意味をなしません。そこで天体の位置は、地球表面上の任意の点を緯度と経度で表すのと同様に、角度で表現されます。天文学で使われる座標系は主に三つあり、場合によって使い分けます。
まず一つめの座標系は、観測者に固定した座標で、基準を観測者の地平面に採る「地平座標 [horizontal system of coordinates]」です。ここでは地平面は無限の大きさを持つ平面とみなします。
天球上で、観測者の真上に当たる点を「天頂 [zenith]」、真下に当たる部分を「天底 [nadir]」、観測者のいる平面と天球の交線である大円を「地平線 [horizon]」と定義し、天体が地平線の下からから上へ昇ることを「出」、地平線の上からから下へ沈むことを「入(または、没)」と呼びます。また、天頂と地平線上の真南の点を結んだ大円を天の「子午線 (meridian)」と呼びます。子午線の「子」と「午」は後に述べる十二支の「ね」と「うま」でそれぞれ北と南の方角を意味します。
天体の位置は、地上からの仰角(見上げる角)と、真南から時計回り方向の角度で定めます。前者を「高度 [altitude]」、後者を「方位角 [azimuth]」と呼びます。高度の方は、天頂からの角度(=90°-高度)に置き換えてもよく、これを「天頂距離 [zenith distance]」と呼びます。
この座標系は、天体観測時にリアルタイムで天体の位置を確認するのに適した座標系ですが、同じ時刻の同じ天体でを差し示しても、観測者の位置が異なれば、当然異なる座標値をとってしまうので、暦への利用には向いていません。
二つめの座標系は、天球の回転運動(実際には地球の自転運動)の記述に都合が良いよう、天の赤道面(=地球の赤道面)を基準に採る「赤道座標 [equatorial coordinates]」です。地軸(地球の自転軸)を天球上に投影し、地軸の北極・南極(※)に対して天の「北極・南極 [north pole・south pole]」が定義できます。
天体の位置は、赤道面から北極方向への仰角と、春分点から反時計回り方向の角で定めます。前者を「赤緯 [declination]」、後者を「赤経 [right ascension]」と呼びます。また、赤経のかわりに、赤道面の真南からの時計回りの方角で表現する場合もあり、これを「時角 [hour angle]」と呼びます。時角は通常「〜時」という言い方で表します(南を0時として、24時までで定義)。
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(※)
ここでいう北極・南極は、地球の地磁気で定義される『電磁気的な』極ではなく、あくまで地軸で定義される『力学的な』極を指します。実際、地磁気の極は地軸の極と一致しません。
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三つめの座標系は、暦に一番関係の深い座標系で、黄道面(=地球の公転軌道面)を基準に採る「黄道座標 [ecliptic coordinates]」です。
天体の位置は赤道座標と同様、黄道面から北極方向への仰角と、春分点から反時計回り方向の角で定め、前者を「黄緯 [celestial latitude]」、後者を「黄経 [celestial longitude]」と呼びます。暦を作成するに当たっては、黄経は太陽や月の位置を表すので非常に重要な値です。
赤道座標系、黄道座標系の場合、その中心の位置(原点)をどこに取るかで当然座標の値が変わります。この原点の位置の選びかたは、大きく分けると「測心位置」「地心位置」「日心位置」の3つがあります。それぞれ、観測者、地球の中心、太陽の中心を原点とします。恒星の位置を論じる場合にはこれらの差はほとんど無視できるレベルのものですが、例えば、月に関して論じる場合には、測心位置か地心位置かで大きく座標値が異なります。通常、天文学で月を論じる場合には地心位置の場合が多く、特に断わりがなければ地心位置と考えてよいでしょう。
○ 黄道と西洋占星術
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太陽は一年のそれぞれの時節にしたがって黄道上の一定の位置を占めますが、古代バビロニアにおいて、黄道上を春分点を基準にして十二の区間に区切り、各区間をその位置にある星座の名を以って表し、それをもとに運勢を占う西洋占星術 [astrology] が形成されていきました。西洋占星術が形成された紀元前3〜4世紀頃に太陽が位置していた星座と、現在のそれには、実はズレが生じています。例えば雑誌の星占い等で2月頃は「おひつじ座」というふうにいいますが、現在実際に太陽が占める位置は「おうし座」だったりします。これは、天の赤道が黄道に対して動く(=春分点が動く)ことに基因しています。占星術では一般に、これら星座の名は黄道上の上の一定の区間を示すもの(sign)として取り扱い、実際の星座とは区別されています。これら黄道上の十二の(星座ではなく)区間を「黄道十二宮 [signs of zodiac]」と呼びます。
○ 月・その他の惑星の運行
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月や惑星の運行軌道は必ず黄道を横切ります。これは、月や惑星の公転軌道面が地球の公転軌道面とは正確に一致しないからです。天球上で、月や惑星が黄道を南側から北側に向かって横切る点を「昇交点 [ascending node]」、逆方向に横切る点を「降交点 [descending node]」と呼びます。
地球から見て月や惑星が太陽と全く同じ方向にくることを「合<ごう>[conjunction]」といい、太陽と正反対に来ることを「衝<しょう>[opposition]」といいます。また、地球から見てこれら天体の方向と太陽の方向の成す角が直角になる場合を「矩<く>[quadrature]」といいます。赤経で定義するか、黄経で定義するかによって多少違いが出て来ますが、合は太陽と月・惑星の経度が等しくなる瞬間、衝はこれらの経度が180°を成す瞬間、矩では90°(あるいは270°)を成す瞬間として定義できます。
月も太陽と同様に天球上に大円軌道を描きます。この大円を「白道 [moon's path]」と呼びます。白道は黄道に対して約5.1465°傾いています。月の地球に対する公転軌道面が、地球の太陽に対する公転軌道面に対して約5.1465°傾いているわけです。赤道と同様に白道も黄道に対して動いており、約18.6年(=6793.477日)でもとの位置に戻ります。
白道の黄道に対する昇交点、降交点は、占星術の用語で「ドラゴンヘッド [dragon's head]」(龍頭)、「ドラゴンテイル [dragon's tail]」(龍尾)と呼ばれています。また、宿曜道では、これら交点に仮想の惑星があるものとみなして、それぞれ、「計都<けいと>」、「羅喉【ほんとは目偏に侯の字】<らご>」と呼んでおり、更にこれらは陰陽道では八方位を司る八将神に数えられ、「豹尾神<ひょうびしん>」、「黄幡神<おうばんしん>」と呼ばれています。
月が昇交点、降交点にくることの天文学的意味は、太陽の位置と重なる可能性が高いということであり、これはすなわち「食」が起こる可能性が高い、という事を意味します。この「食」の現象が、古来から神秘的な現象として捉えられた結果として、占星術などに取り込まれていったわけです。
一方、太陽系内の他の惑星は、大局的には各公転周期で天球上を一周するわけですが、細かく見ると月や太陽などと異なり一般に複雑に運行します。そしてこの事実こそが、占星術の神秘性を産み出すものであると同時に、天動説から地動説へのパラダイム変換の大きな動因の一つともなったのです。
3.3 太陽の運行と暦
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太陽の運行の周期性といえば、もっとも判りやすいのは「日」という周期です。「月」や「年」という周期が暦法によって内容が異なるのに比べて、「日」はどの暦でも(どの時間から1日が始まるかの定義の差はあっても)同じ内容を持っています。「日」の周期は、太陽が正中してから次の正中までの時間として定義できますが、これを「太陽日 [solar day]」といいます。「正中 [culmination]」は「南中 [southing]」ともいい、天体が天球の子午線上に位置すること、すなわち、天体が地上の観測者から見て真南に来ることをいいます。
太陽日は実は常に一定の長さではなく、季節(つまり、地球の公転軌道上の位置)によって変化します。そこで、実際の正中から正中までの時間を「真太陽日 [apparent solar day]」、そしてそれらの年平均値を「平均太陽日 [mean solar day]」として区別します。天文学などで「日」という単位が出てくる場合には、特に断りがなければ「平均太陽日」を指します。
ここで注意すべき点は、太陽日と地球の自転周期は等しくない、ということです。太陽日は正中から正中までの時間、言い換えれば、太陽と地球を結ぶ直線(動径)に対して地球が回転する周期です。一方、地球の自転周期は、つまり恒星に対する回転周期ですが、地球は自転しているあいだに太陽の公転軌道上を進んでいるため、恒星に対して一周しても、太陽と地球を結ぶ直線に対してはまだ一周に満たないのです。ちなみに地球の自転方向と公転方向は同じで、更に、月が地球を巡る公転方向と月の自転方向も同じです。地球の自転に要する時間は、別の言い方をすると、恒星の正中から正中までの時間で、これを「恒星日 [sidereal day]」といいます。太陽日と恒星日の関係は、
1平均恒星日 = 0.99726957平均太陽日 = 23時間56分4.0905秒(平均太陽時)
となっています。平均太陽時は平均太陽日から計算された時分秒です。この太陽日と恒星日の差があるからこそ、太陽が黄道上を一年にわたって巡ることになるわけです。
次に太陽の運行と密接にかかわるのが、「年」です。約360日で季節が一巡することは4大河文明の頃に知られるようになり、それとともに太陽の黄道上の運行も観測されていきました。
実は太陽の運行(地動説的には地球の公転運動)は、季節によってその速度が変化します。これは、地球の公転軌道が楕円軌道であることに基因します。しかし、まだ天文観測の技術が発達していない頃などは、太陽の運行を一定のものと見做して、1年分を360°として、時間平均を採ることで太陽の位置(黄経)を求めていました。この様にして求めた黄経を「平均黄経 [mean celestial longitude]」と呼びます。一方、地球から観測した実際の太陽の位置(※)に基く黄経を「視黄経 [apparent celestial longitude]」と呼びます。
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(※)
細かい話になりますが、ここで言っているのはあくまで地球から見た「見かけの」位置であって、真の太陽の位置とは異なります。なぜ異なるかといえば、光が太陽から地球に達するのに8分20秒程かかり、その間にも地球は公転軌道上を移動しているためです。したがって見かけの太陽の位置とは、8分20秒程前の真の太陽の位置を指すことになります。このような「見かけ」の位置と真の位置の差を「光行差 [aberration]」と呼びます。
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3.4 月と暦
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さて月の周期性の中で、顕著に見えるものは何といっても月の満ち欠けです。月の満ち欠けは、太陽と月(と地球)の位置関係で定まります。
月が地球から見て合の位置にくる瞬間、すなわち太陽の黄経と月の黄経がちょうど一致する瞬間が「朔<さく>」、すなわち「新月 [new moon]」です。このときには月は真っ暗のはずですが、現実には、太陽と同じ方向に在るので目視で確認することはできません。
朔から7〜8日の頃になると、月の黄経は太陽の黄経よりも90°進み(矩)、右半分が光った半月の状態になります。これを弦を上に張った弓に喩えて「上弦 [first quarter]」の月と呼びます。
朔から15日頃、太陽と月の黄経の成す角が180°になる(衝)瞬間が「望<ぼう>」、すなわち「満月 [full moon]」です。「望月<もちづき>」ともいいます。
朔から22〜23日目の頃になると、月の黄経は太陽の黄経よりも270°進み(再び矩)、左半分が光った半月となりますが、これは上弦の反対なので「下弦 [last quarter]」の月と呼びます。
月の満ち欠けの周期、すなわち朔から朔までの周期を「朔望月<さくぼうげつ>[synodic month]」と呼びます。月の運動が一様でないことから朔望月は一定ではなく、29.2〜29.9日の間で動いていますが、これらの平均は、
1(平均)朔望月 = 29.530589日
となっています。一方、もう一つ暦に関わるものとして、月が恒星に対して一周する周期があり、これを「恒星月 [siderial month]」と呼びます。朔望月と恒星月の関係は、太陽日と恒星日の関係と同じです。恒星月は、
1恒星月 = 27.321662日
となっています。恒星月は「二十八宿(二十七宿)」と関係があります(二十八宿の項を参照)。
○ 月の出と和名
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月は、その満ち欠けの状態に応じて様々な異名があります。
朔から3日目の黄昏時に、西の空に出る細い月が「三日月<みかづき>[crescent moon]」です。朔以来初めて見え出した月であることを示す「朏」という字を宛てることもあります。実際に見える初めての月であることから、古くは、三日月を以って新月と見做すこともあったようです。
三日月には、「眉月<まゆづき>」、「始生魄<しせいはく>」など数多の異名が残されており、古来から霊性の象徴になっていたと思われます。昔の人々にとっては、空に浮かぶその鋭角的な様態が飛び抜けて印象的に見えたのでしょう。しかし現代人にしても、月の絵を描けと言われたら、たいていの人が三日月を描くことからみても、三日月の印象は古今東西を問わず人間の脳裏によほど強く焼き付いていると見えます。
日本では朔から数えて16〜20日目の月にも呼び名が付いています。
16日目の月夜は「十六夜<いざよい>」と呼びますが、これは、満月にくらべて50分から1時間ほど遅れて出てくることから、月が「いざよって(=ためらって)」なかなか昇ってこないことを表しています。
十六夜と同様に、月の出てくるのがだんだんと夜遅くなる意味合いで、17〜20日目の月を、
17日目→「立待月<たちまちづき>」
18日目→「居待月<いまちづき>(座待月とも書く)」
19日目→「寝待月<ねまちづき>」、「臥待月<ふしまちづき>」
20日目→「更待月<ふけまちづき>」
と呼びます。日が沈んでから立って待っていられるうちに月が出る「立待月」に始まり、座って待ち、寝て待ち、ついには夜も更けるまで待ってようやく月が出る「更待月」まで、月の出を待つ様子がよく表わされています。月を待つという行為は、「マチ(待ち)」という祭事の一つである「月待ち」が、次第に民間行事に変わっていき定着したものだといわれています。
4. 太陰太陽暦と日本の旧暦
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4.1 太陰太陽暦
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日本の旧暦は、暦の「月」(暦月)を天体の月(太陰)の満ち欠けによって定め、暦の「年」(暦年)を太陽の(地球からの見かけの)運動によって定める「太陰太陽暦 [lunisolar calendar]」という方式で繰られています。よく旧暦のことを「陰暦」と呼んだりしますが、あくまで太陰太陽暦であって、「太陰暦 [lunar calendar]」ではありません。太陰暦の場合には、月の満ち欠けの情報のみに基いて暦を構成するため、何年かすると、暦の月の呼称と季節が全くずれてきます。実際、現在イスラム教徒が用いているイスラム暦が太陰暦ですが、特に重要な断食の月「ラマダーン月」もその季節は一定しておらず、今年夏だったとしても、十年後には春先になっていたりするのです。
一方、われわれが現在用いているのは「太陽暦 [solar calendar]」ですが、これには、天体の月の情報は全く入っていません。この意味では、月の情報、ひいては潮の満ち引きの情報がわかる太陰太陽暦のほうが天文学的にはずっと意味の深い暦であるといえます。しかし、現実の運用を考えると、太陰太陽暦では「月」の日数や「年」の月数が「年」によって変化するので甚だ不都合になります。少なくとも西洋式の経理・金融システムを導入している限り、太陰太陽暦では利率などの計算が非常に面倒になります(あるいは成立しません)。現行の太陽暦である「グレゴリオ暦 [Gregorian calendar]」は純粋に数値的に定義されているので、何万年、何億日先であろうと、(グレゴリオ暦が適用できるとして)曜日なり月なりといった情報を非常に簡単な計算で求められるのに対して、太陰太陽暦では天体の実際の運行に基づいているため、原理的にせいぜい頑張って二、三百年程度先くらい迄しか求められないし、第一、計算がとんでもなく煩雑になります。
4.2 太陰太陽暦での暦月の定め方
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太陰太陽暦(および太陰暦)では、「朔」(あるいは「望」)の日に始まり、次の「朔」(あるいは「望」)の前日に終わる期間を暦の上での「月」(暦月)とします。日本の旧暦は太陰太陽暦ですから暦月の初日は朔の日に当たるわけですが、この日からしだいに「月が立って」いくことに由来して、月初めを「月立ち」、変じて「朔日<ついたち>」と呼ぶようになりました。現行の太陽暦でも月初めを「ついたち」と呼びますが、これは単にその名が残っているだけで、元々持っていた意味は全く失っていることになります。更に、朔の前日を「月が隠<こも>る」日として「月隠り」、変じて「晦日<つごもり>」と呼びます。
太陰太陽暦では太陽の年回帰と月の満ち欠け周期を両立させねばならないわけですが、その場合に問題となるのは、太陽年と朔望月の関係が整数倍になっていないことです。太陽年と朔望月の関係は、
1太陽年 = 365.2422日 = 12.3683(平均)朔望月
12(平均)朔望月 = 354.367068日
ですから、暦年を12朔望月とすると、太陽の年回帰より約11日ほど短くなります。これをうまく季節がずれないように調節せねばならないわけですが、だいたい3年に一度の割合で余分の「月」を挿入すればいい計算になります。このような余分の「月」を「閏月<じゅんげつ、うるうづき>」と呼び、その置き方の規則を「置閏法」と呼びます。置閏法が異なれば当然暦法(暦の繰り方)も異なってきます。
さて、日本での暦の源流は中国にあるため、以下では中国の暦法を中心に話を進めていきます。
太陰太陽暦で「月」の朔を定める方法には、その原理からいって大きく二つのものがあります。一つは「平朔法」、もうひとつは「定朔法」です。
平朔法では、暦月の初日に当たる朔を平均朔望月によって平均的に定めるのに対して、定朔法では、天体の月が実際に朔になる日を基に定めます。平朔法の場合には、平均朔望月に基づく関係上、暦月の初日が実際の朔から少々ずれることも起こり得ますが、実際の朔を予測するには高度な天文学的知識と観測技術が必要となるため、古くは平朔法が用いられ、時代が下ってから定朔法による暦法に改暦されていくこととなります(中国では7世紀頃に定朔法に改暦されました)。
一方、置閏の規則を定義するために中国の太陰太陽暦(およびそれを利用した日本の暦)では二十四節気を用いました。二十四節気の定め方には、平均黄経によるものと視黄経によるものがありますが、前者を「平気法」、後者を「定気法」と呼びます。定気法を用いるためには、定朔法にも増して相当高度な天文技術を要するので、時代が下って清朝になって(17世紀)やっと使用されるようになりました(時憲暦)。現在、日本で旧暦という場合には、定朔定気法による「天保暦」(※)という暦法に基づく太陰太陽暦を指し示します。
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(※)
「天保暦」(正式には「天保壬寅元暦」)は江戸末期天保年間に施行された暦で、根本原理は中国の定朔定気法による暦に由来しますが、日取りの計算等は日本で独自に行ったものです。かなり精度が高く、太陰太陽暦としてはほぼ完成の域に達したものだといえます。
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暦月への日数の配分のしかたですが、平均朔望月が約29.5日ですから、暦年=12朔望月として、大まかに言えば29日の月と30日の月とをほぼ同じ数だけ配分して、あとは閏月で補う形になります。ここで、29日の月を「小の月」、30日の月を「大の月」と呼びます(太陽暦でも、28〜30日の短い月を「小の月」、31の月を「大の月」と呼びます)。平朔法の場合は、規則的に(=人為的に)大と小の月を配することが可能ですが、真の朔を求める定朔法では、年によって月の大、小が変わります。現行の太陽暦(グレゴリオ暦)では小の月が二、四、六、九、十一月と固定で、これを覚える語呂合せとして「西向く侍<にしむくさむらい>」(十と一を合わせて士<さむらい>)という句が知られていますが、実はこれは江戸時代に小の月を覚えるために作られた歌の一つだったのです。
4.3 太陰太陽暦での置閏法
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○章法と四分暦
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置閏法で最も基本的なものは、古代中国において「十九年七閏法」と呼ばれた方法で、その呼び名の通り19年に7回の閏月を置きます。どうして19年に7回かと言いますと、
1太陽年 = 365.2422日 = 12.3683(平均)朔望月
12.3683 ≒ 12 + (7/19) = 12.3684...
となり、よい近似になっているためです。中国においては、この19年の周期を「章」と呼んだためこの置閏法を「章法」とも言います。一方、古代ギリシャでも紀元前433年にメトン [Meton]という人によって同様の置閏法が導かれたため、19年周期はまた「メトン周期」とも呼びます。
章法では、太陽回帰年と朔望月の関係を
19年 = 235朔望月
とみなしますが、これは、月の巡りかたが同じ状態になる周期、すなわち、太陽と月と地球の位置関係が再び同じ状態になる周期が19年であるということを意味します。
さて、1太陽年は365.2422年ですが、これを古くは365.25日に正確に等しいものとみなしていました。先に述べた章法によれば、19年の「章」が暦の基本周期ですが、この場合1年を365.25(365 + 1/4)日として、
章 = 19年 = 6939 + (3/4)日
となり、日数でみると半端になってしまいます。そこで章を4倍して、日に対しても端数のないよう考慮された周期、つまり76年の周期を設けました。中国ではこの76年周期を「蔀<ぼう>」と呼び、この周期を用いた暦を「四分暦」と呼びました。章の場合と同様に、古代ギリシャでも紀元前334年にカリッポス [Callippus]という人によって同様の置閏法が導かれたため、76年周期はまた「カリッポス周期 」とも呼びます。
○平気法での月の定めかた
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中国における平気法での暦の繰り方は、12個ある中気(二十四節気の章を参照)を暦月に固定します。すなわち、
正 月に 雨水
二 月に 春分
三 月に 穀雨
四 月に 小満
五 月に 夏至
六 月に 大暑
七 月に 処暑
八 月に 秋分
九 月に 霜降
十 月に 小雪
十一月に 冬至
十二月に 大寒
というふうにそれぞれ固定します。平気法での二十四節気は太陽の平均黄経に基きますから、中気から中気(あるいは節気から節気)の間隔は一定で、
(365.2422/12)日 = 30.437...日
となりますが、これは朔望月(平均29.53日を中心としてとしてだいたい29.2〜29.8日の範囲)よりも大きく、したがって32から33ヶ月の割合で中気のない暦月が生じます。中気のない月はいわば「月ならぬ月」とみなされましたが、この「月ならぬ月」こそ閏月として定義されるのです。閏月は、その前の月名に「閏」をつけて称します。たとえば、前の月が二月なら、閏二月となるわけです。本来存在しない月なので、特別な名が与えられない訳です。
○定気法での月の定めかた
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定気法(実質的には定朔定期法です。平朔の定気法は歴史上存在しません)では実際の太陽の位置に基いて二十四節気が定められるので、平気法と異なって中気から中気までの期間は必ずしも朔望月より長くなるとは限りませんが、中気を含まない月を閏月とする点では平気法と一致します。それに加えて、
冬至を含む月を必ず十一月に
固定し、更に、
春分を含む月を二月、
夏至を含む月を五月、
秋分を含む月を八月、
となるように月を決めます。日本のいわゆる旧暦も、この規則にしたがって定められています。実は定朔定気法では一年に中気のない月が2回出てくることもあるのですが、この場合ははじめの中気のない月のみを閏月とするようです。
5. 太陽暦
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ついでに太陽暦についても簡単に記しておきましょう。
5.1 ユリウス暦
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ローマ時代にユリウス・カエサル [Julius Caeser]によって施行されたのがユリウス暦 [Julian calendar]です。
ユリウス暦は、太陽の年回帰を365.25日とみなして、平年365日として、四年に一度366日から成る閏年を設ける暦法です。この暦法では、1年に
365.25 - 365.2422 = 0.0078日
の狂いが生じ、ほぼ128年で1日ずれてしまいます。
5.2 グレゴリオ暦
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現行の太陽暦であるグレゴリオ暦 [Gregorian calendar]は、1582年に時の法皇グレゴリウス13世 [Gregorius XIII]によって施行されました。
グレゴリオ暦は、西暦の4で割り切れる年を閏年としますが、100で割り切れて400で割り切れない年は平年とします。つまり、400年に97回の割合で閏年を配置することになり、これは、一年を、
365 + (97 / 400) = 365.2425
と見做していることに相当します。これによって、3333年に1日程度のずれという極めて精度の高い暦法となっています。
5.3 復活祭と改暦
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ところで、ユリウス暦からグレゴリオ暦へ改暦が行われた理由は非常に宗教的なものでした。カトリック教では復活祭 [easter]とその日付によって定まる移動祝日 [festa mobilia]というものが重要視されていますが、復活祭の日取りは紀元325年にコンスタンティヌス帝によるニケア会議で、
「春分を3月21日に固定し、
春分後の最初の満月の後の最初の日曜日を復活祭の日とする」
と定められました。これが決められた当初はユリウス暦を施行していたわけですが、16世紀ころになると実際の春分は3月11日頃になっており、運用上支障をきたすようになったので、1582年10月4日から10日飛ばして翌日を10月15日としてグレゴリオ暦を施行することになったのです。因みに定義に出てくる「満月」は平朔法によるもので、実際の満月とずれる場合もあります。
ここで、移動祝日のうち主なものを挙げておきます。
復活祭より七週間前 告解の主日 [Shrove Sunday](五旬節の主日)
告解の主日より三日間 告解の三箇日 [Shrovetide]
告解の三箇日の三日め 告解火曜日 [Shrove Tuesday]
復活祭の四十六日前 聖灰祭[Ash Wednesday]
聖灰祭より復活祭まで 四旬節 [Lent]
復活祭の二週間前 受難の主日 [Passion Sunday]
受難の主日より復活祭まで 受難節 [Passiontide]
復活祭の一週間前 棕梠の日曜日 [Palm Sunday]
復活祭前の一週間 聖週間 [Holy Week]
聖週間内の木曜日 洗足木曜日 [Maundy Thursday]
復活祭の二日前 聖金曜日 [Good Friday](受苦日 [Passion Day])
復活祭の前日 復活祭前夜 [Easter eve](聖土曜日 [Holy Saturday])
復活祭の五週間後 祈願の主日 [Rogation Sunay]
祈願の主日の翌日から三日間 祈願節 [Rogation Days]
復活祭の三十九日後 昇天祭 [Ascension Day](聖木曜日 [Holy Thursday])
昇天祭より十日間 昇天節 [Ascensiontide]
復活祭の七週間後 聖霊降臨祭 [Whitsunday](白き日曜日)
聖霊降臨祭より一週間 聖霊降臨節 [Whitsuntide]
復活祭の八週間後 至聖祭 [Trinity Sunday](三位一体の主日)
復活祭の六十日後 聖体祭 [Corpus Christi Day]
復活祭の六十八日後 聖心祭 [Sacratissimi Cordis Jesu]
■アルゴリズム
1900年から2099年までの復活祭の日取りをもとめるアルゴリズムが、文献(9)に載っています。これによれば、求める年の西暦をy年とするとき、
m = (11*(n mod 19) +4 - trunc( (7*(n mod 19) + 1)/19 )) mod 29
w = (y - 1900 + trunc((y - 1900)/4) + 31 - m) mod 7
e = 25 - m - w
(但し、trunc(x)はxの整数部をあらわす)
と計算して、
e > 0 ならば、4 月 e 日が復活祭、
e ≦ 0 ならば、3 月 (31+e) 日が復活祭、
となります。
5.4 日本での改暦
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日本での改暦、つまり旧暦から現行の新暦への改暦は、明治5年(1862)11月9日に突如詔書が発表されて、明治5年12月3日を明治6年1月1日とする形で行われました。発表から実施までの準備期間が極端に短かったので、当時の人々の間では相当な混乱がありました。
改暦が行われた理由ですが、表面上は「欧米列強と同じ暦を使用して、文化的にも欧米に追い付くため」という理由付けがなされており、たしかにこれも理由の一端ではあるのですが、これだけでは唐突な改暦の断行の理由としては不充分です。実は、国家の財政難が改暦の引き金になっていたのです。折しも明治5年の頃は、急激な西洋技術の導入などで財政が窮しており、そこへもってきて、翌明治6年は旧暦によれば閏月が含まれ、政府役人の給与として13ヶ月分の支給をせねばならず、財政が破綻してしまうという局面になっていました。このような事情により、政府は改暦を断行したわけですが、その結果、明治6年の1ヶ月分のみならず、2日間しかない明治5年12月分給与も払わなくて済み、都合2ヶ月分の給与が浮くことになりました。政府としてはまんまとしてやったり、ですが、逆に庶民にとっては、それでなくても年末年始は何かと忙しく物いりであるところに、いきなり(おそらく改暦の報が庶民のレベルにまで伝わったのは11月下旬と推測されます)12月という月がなくなって正月がやってきたのですから、たまったものではなかったに違いありません。以上の内容は、文献(20)に非常に詳しく載っています。
5.5 ユリウス通日
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ユリウス通日(ユリウス日) [julian day]とは、ユリウス暦の紀元前4713年1月1日世界時正午を第0日としたときの累積日数です(世界時は日本時間午後9時の値と考えてよいです)。日付を数値として扱う場合の国際的基準として設けられているものです。ユリウス通日はもともとフランスのスカリゲル [Scaliger]が導入したユリウス周期に由来します。ユリウス暦法における太陽周期(同じ日付の暦日が再び同じ曜日になる周期)の28年とメトン周期19年の公倍数の532年に、さらにローマインディクション [Roman indiction](ローマの人工的な租税周期)15年を掛けた7980年の周期がユリウス周期で、この周期の通し日数がユリウス通日なのです。しかしユリウス周期は、ローマインディクションという、天文事象や暦とはまったく無関係の要素が含まれており、あまり深い意味を持たないので、運用上ユリウス通日を7980年周期で繰り返す必然性はあまり見当たりません(どちらにしてもまだ先の話ですが)。ところでユリウス通日、ユリウス周期の「ユリウス」はユリウス暦のそれとは全く別で、スカリゲルが父のヨゼフ・ユリウス [Josephus Julius]に因んで名付けたものです。
6. 二十四節気(二十四気)
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二十四節気は、古代中国で発祥したもので、太陽の年単位の運動(実際は地球が公転しているのだけれども)をもとにして、一年を二十四の時節に句切ったもので、太陽の黄経によって定義されます。その名の詩情性に似合わず非常に合理的な暦の指標となっています。中でも、春分・秋分・夏至・冬至は天文学的に重要で、直観的に観測できるため、東洋のみならず西洋でも季節の指標となってきました。これらはまとめて二分二至と呼ばれます。一方、立春・立夏・立秋・立冬を四立といい、東洋、特に日本においては季節の句切りを示すものとして古来より重要視されてきました。二分二至と四立を総称して八節ともいいます。
二十四節気は、立春から数えて奇数番目を節気、偶数番目を中気というように分けられます。このことから分かるように、本来「二十四節気」と言う呼び名は適当ではなく、「二十四気」と呼び方が正しいのですが、慣例上「二十四節気」という呼び名が定着しているので本文書では「二十四節気」で通しています。
中気は、旧暦での閏月の置き方(置閏法)に深く関っており、節気は、季節の指標として暦注の日取りに関係しています。
以下に二十四節気を列記しておきます。
節/中 現行暦での日付 太陽黄経
立春<りっしゅん> 正月節 二月四日頃 315°
雨水<うすい> 正月中 二月十九日頃 330°
啓蟄<けいちつ> 二月節 三月六日頃 345°
春分<しゅんぶん> 二月中 三月二十一日頃 0°
清明<せいめい> 三月節 四月五日頃 15°
穀雨<こくう> 三月中 四月二十日頃 30°
立夏<りっか> 四月節 五月六日頃 45°
小満<しょうまん> 四月中 五月二十一日頃 60°
芒種<ぼうしゅ> 五月節 六月六日頃 75°
夏至<げし> 五月中 六月二十一日頃 90°
小暑<しょうしょ> 六月節 七月七日頃 105°
大暑<たいしょ> 六月中 七月二十三日頃 120°
立秋<りっしゅう> 七月節 八月八日頃 135°
処暑<しょしょ> 七月中 八月二十三日頃 150°
白露<はくろ> 八月節 九月八日頃 165°
秋分<しゅうぶん> 八月中 九月二十三日頃 180°
寒露<かんろ> 九月節 十月八日頃 195°
霜降<そうこう> 九月中 十月二十三日頃 210°
立冬<りっとう> 十月節 十一月七日頃 225°
小雪<しょうせつ> 十月中 十一月二十二日頃 240°
大雪<たいせつ> 十一月節 十二月七日頃 255°
冬至<とうじ> 十一月中 十二月二十二日頃 270°
小寒<しょうかん> 十二月節 一月五日頃 285°
大寒<だいかん> 十二月中 一月二十日頃 300°
○二十四節気と「月」の数え方
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朔日<ついたち>にはじまり晦日<つごもり>におわる旧暦の「月」とは別に、節気の日を初日とし、次の節気の前日を末日とする「節切りの月(節月)」という暦の繰り方があり、暦注の日取りのしかたにおいて重要視されてきました。節切りの暦法では、立春を初日とする節月を正月として年の初めとし、以降、
立春から啓蟄の前日までを 正 月
啓蟄から晴明の前日までを 二 月
晴明から立夏の前日までを 三 月
立夏から芒種の前日までを 四 月
芒種から小暑の前日までを 五 月
小暑から立秋の前日までを 六 月
立秋から白露の前日までを 七 月
白露から寒露の前日までを 八 月
寒露から立冬の前日までを 九 月
立冬から大雪の前日までを 十 月
大雪から小寒の前日までを 十一月
小寒から立春の前日までを 十二月
と言うかたちで月が決められます。節切りに対し、旧暦の月で切る方法を「月切り」といいます。
○二十四節気と季節
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暦上の季節という場合には、節切りの正月から三月までを春とし、以下、節切りの三ヶ月毎に夏、秋、冬となります。
さて、よく「立春」「立夏」「立秋」「立冬」などのときにニュースなどで「暦の上ではもう〜ですが、実際にはまだまだ云々」と言いますが、これはよく考えるとおかしな言説なのです。季節というのは、今日までは夏で明日から秋、というようにディジタルに変わるものでないことは言うまでもありません。いわば、「季節らしさ」がファジー論理のメンバーシップ関数のように徐々に変化していくと考えてよいでしょう。そう考えると、たとえば立秋の日とは、この日を境に徐々に秋になっていく日と考えられ、だからこそこの時点ではまだ「秋らしさ」指数は0と考えられるのです。一方、この日を境に「夏らしさ」が減っていく、ということも言えるので、逆にこの時点が最も夏らしい時節ということになります。つまり、立秋の時に秋らしくないのはしごく当たり前で、「暦の上では〜」という常套句はあまり意味を為さないのです。
とはいえ、二十四節気の季節感が多少ずれて感じられる部分があるのもまた事実ではあります。よく、旧暦から新暦へ移行して暦の上の季節感がずれたことが指摘されることがありますが、このことと、二十四節気に基く季節感の問題は全く別のものです。一般にはこの辺をごっちゃにして考えてしまいがちなのですが、二十四節気の季節感がずれて感じられるのは、そもそも二十四節気が中国起源の物だからです。中国と日本とでは当然気候風土が異なるので、多少ずれた感じがするわけで、これは旧暦を使用していた時代でも同じだった筈なのです。
○七十二候について
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二十四節気の各節・中の期間を更に3つ(初候、中候、末候)に分けて一年を72に分割し、各々に時候を表す名を付けたものを七十二候といいます。起源は中国で、各候に3〜4文字の漢文がその名として宛てられています。七十二候は、中国と日本の気候風土の違いから、そのままでは日本の時候にそぐわないため、日本に入ってきてから新たに作りなおされました。これを本朝七十二候と呼んでいます。現在七十二候と呼ばれるのは一般にこの本朝七十二候をさします。
7. 雑節
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雑節は、二十四節気と同様、季節を表す指標となっていますが、どちらかというと年中行事と結びついたかたちで存在しています。雑節に関しては、定義のしかたや、何を雑節に含めるかに幾通りかのやり方がありますが、おおむね以下のように定義されいます。
冬土用<ふゆどよう> 太陽視黄経が297°
節分<せつぶん> 立春の前日
春彼岸<はるひがん> 春分の3日前
春土用<はるどよう> 太陽視黄経が27°
入梅<にゅうばい> 太陽視黄経が80°
半夏生<はんげしょう> 太陽視黄経が100°
夏土用<なつどよう> 太陽視黄経が117°
秋彼岸<あきひがん> 秋分の3日前
秋土用<あきどよう> 太陽視黄経が207°
八十八夜<はちじゅうはちや> 立春から数えて88日目
二百十日<にひゃくとおか> 立春から数えて210日目
二百二十日<にひゃくはつか> 立春から数えて220日目
大祓<おおはらえ、おおはらい> 六月三十日と十二月三十一日
社日<しゃにち、しゃじつ> 春分に近い戊<つちのえ>の日と、秋分に近い戊の日
前後同日数の場合は前者をとる
○土用<どよう>
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土用は本来、立春・立夏・立秋・立冬の前18日間を指し、年4回あるわけですが、いつのころからか土用というと夏の土用だけを指すようになりました。そもそも土用は、季節の循環を五行説(干支の章参照)に則って説明するために設けたられたものです。春夏秋冬にはそれぞれ五行の気「木火金水」が割り当てられ、残る「土」の気を土用として四季それぞれの境目に割り当てたのです。土用という語は、「土旺用事」(土の気が旺盛になること)が略されたものだといわれています。何故、夏の土用だけが重要視されたかというのも、この五行説に基いて説明されます。干支のところで詳しく述べますが、五行の「気」は、その配当において、相性組合せの「いいもの」と「わるいもの」があるのですが、土用の気である「土」の気と相性のいいのは、「火」と「金」の気だけなので、夏の「火」、秋の「金」に挟まれた夏の土用の「土」の気が重要とされたのです。
土用の実際的な意味合いは、要するに季節が一番それらしい時季と言ってよいでしょう。夏の土用でいえば最も暑い日が続く頃ということになります。
今日では、土用の入りは太陽視黄経によって定義されるので、土用の期間は必ずしも18日間になるとは限らず19日になることもあります。
○節分<せつぶん>
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節分は季節の分け目ということであり、本来的には、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指しますが、特に立春前のものが重要なので、通常暦にはこれのみが記載されます。なぜ立春前かというと、「節切り」の暦でいえば立春は年頭に当たり、従って節分は年の最後ということになるからでして、それ故に、豆まきなどという形で、来たる年に備えて邪気を払う祭事・行事が存在しているのです。
○彼岸<ひがん>
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春分・秋分の日を挟んで前後3日間、計7日間ずつが彼岸です。彼岸の初日を「彼岸の入り」、終りを「彼岸の明け」といい、春分・秋分の日を「彼岸の中日」といいます。
言うまでもなくこの雑節の由来は、法要「彼岸会<ひがんえ>」なのですが、「彼岸会」そのものの由来はと言えば、ちょうどこの頃(春分・秋分)に太陽は真西に沈み、このことが、弥陀の在す西方極楽浄土を衆生に示すことに繋がるという付会でこの時期に仏事が行われるようになったためだといわれています。一説には、昼夜の長さが一致することが、仏教で尊ばれる中道の教義に合致するためともいわれています。
○入梅<にゅうばい>
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梅雨入り<つゆいり、ついり>のことですが、あくまで暦の上でのことであり、実際の気象上の梅雨入りとはもちろん異なります。梅雨入りは農事には重要な事柄ですが、雑節としての入梅は、現実的にはあまり大きな意味をもたないといえます。梅雨の季節のだいたいの目安を示すものと捉えてよいでしょう。現行暦でいうと六月十一日頃に当たります。
○半夏生<はんげしょう>
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もともと「七十二候」の一つで、夏至(五月中)の末候にあたりますが、この頃は梅雨の終盤に当たり、農家ではこの頃までに田植を済ませる習慣がありました。というのも半夏生のころには、天から毒気が降るとか地から毒草が生じるという言い伝えがあって、種蒔きなどが忌む風習があったのです。半夏生は「半夏<はんげ>が生ず」ということであり、「半夏」とは「からすびしゃく」という毒草のことです。
○八十八夜<はちじゅうはちや>
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立春から数えて88日目が八十八夜ですが、この頃はちょうど「八十八夜の別れ霜」と言って、遅霜の時季にあたり、農事上注意すべき時季であることから特に暦に載るようになったものです。現行暦で五月二日頃に当たります。
○二百十日<にひゃくとおか>、二百二十日<にひゃくはつか>
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立春から数えて210日目が二百十日、220日目が二百二十日で、ちょうどこの頃が台風襲来の時季であるとともに稲の開花期でもあるため、農事上非常に注意を喚起する必要があるため暦に載るようになりました。現行暦では、二百十日は九月一日頃、二百二十日は九月十日頃に当たります。
○社日<しゃにち、しゃじつ>
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社日の「社」は、うまれた土地の守護神である産土神<うぶすながみ>を示し、社日は産土神に参拝する日という意味を持っています。春の社日(春社)は五穀の種を供えて豊作を祈り、秋の社日(秋社)は、収穫の御礼参りをします。
■アルゴリズム
ある日が社日であるかどうかを求めるには、その日の「ユリウス通日」をjd、春分の「ユリウス通日」をjds、秋分の「ユリウス通日」をjdaとして、その日の十干が戊で(十干の求め方は後述)、かつ、
(abs(jd-jds) <= 4) or (abs(jd-jds) = 5 and jd < jds) or
(abs(jd-jda) <= 4) or (abs(jd-jda) = 5 and jd < jda)
但し、abs(x)は、xの絶対値を返す関数
の判定条件がtrueかどうかで見れます。
8. 干支<かんし、えと>
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8.1 十二支の起源
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十二支は中国に発祥したものですが、木星の運行に基く天文学的な指標が基になっており、古くは「十二辰」と呼んでいました。木星は約12年(11.86年)で天球上を一周することから、木星が一年で進む分を「次」と呼んで天球を「十二次」に区切って、座標系のような役割を持たせていました。木星の位置によって任意の年がどの十二次に当たるかを判定でき、十二年毎の周期での「紀年法」とすることができます。これを「歳星紀年法」と呼びます。「歳星」とは古代中国での木星の呼び名で、「木星」の名の方は五行説に付会して後から付けられたものです(他の惑星も同様です)。「歳星紀年法」そのものは古代バビロニアでも知られており、むしろこちらが起源となって中国に伝わったのではないかと言われています。バビロニアの方では、十二次が黄道十二宮として発展することになりました。
さて、このように古くから木星の周期が12年であることが知られており、かつ、一年がだいたい十二朔望月より成るという附合も手伝って、古代中国の人は十二の数に神秘性が見出したようで、木星と反対方向に同速度で運行する仮想の天体「歳陰(太歳)」を設定して、こちらに対しても十二の区間を設けました。これが「十二辰」、すなわち後に「十二支」と呼ばれることになるものなのです。歳陰はまた、木星の神でもあり、純粋な思考的産物なため、後に木星の周期が正確に12年でないことがわかった後でも歳陰に対しては12年周期のまま運用して、結果として年に十二支を割り当てる今日のやりかたができあがったといってよいでしょう。
十二辰(十二支)は、その後地上の方位や時刻などにも応用されるようになり、さらに動物と付会されるようになっていきました。
○十二支と月名
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古来より、季節を表す指標として「斗建<とけん>」があります。北斗七星の斗柄<とへい>の建<おざ>す方向のことです。斗柄とは北斗七星=柄杓<ひしゃく>星の柄の部分のことで、玉衡、開陽、揺光(それぞれ、おおぐま座ε、ζ、η)の三星を指します。古くは月ごとの斗建の方向を、地上の方位に配当されている十二支の名を用いて表して、これを月の名としました。例えば斗柄が真北、すなわち「子<ね>」を指す冬至のころを、建子月と呼び、その翌月のころを建丑月、以下、建寅月、建卯月、…となるわけです。
8.2 十干の起源
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十干は、もともと朔望月を三つの期間に区切って日を数えるために用いられたものです。
8.3 干支と陰陽五行説
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干支(十干十二支)には、古代中国の哲学を起源とする『陰陽五行説』が結び付けられており、それぞれに、五行の気(木、火、土、金、水)が配当されます。『陰陽五行説』では、自然界の森羅万象や原理を、いわば五行の気の属性で説明するものです。西洋でいえば、アリストテレスの四元原素[地水火風]による世界記述に近いものがあるといえます。五行の気の相互の関係性には三通りあり、相生、相剋、比和と名付けられています。
まず、相生ですが、これは「相生ず」ということであり、五行の気のうち、ある「気」が他の「気」を生ず事を意味しており、つまるところ相性のいい「気」の組合せをさします。例えば、「水」を与えることで「木」が育つ、ということから「水生木<すいせいもく>」といいます。その他に「木生火」「火生土」「土生金」「金生水」が相生としてあります(個々の説明は省きます。参考文献(1)などを参照してください)。
次に、相剋ですが、これは「相剋つ<あいか・つ>」ということで、ある「気」が他の「気」に剋つ(他の「気」を殺す)事を意味しており、一言でいえば相性が悪い気の組合せということです。例えば「火」は「水」と相性が悪く、水は火を消す、すなわち「水」が「火」に剋つ(勝つ)ことからこれを「水剋火<すいこくか>」といいます。他には、「木剋土」「土剋水」「火剋金」「金剋木」が相剋です。
最後に、比和ですが、これは、同じ「気」同士が重畳する(重なり合う)ことをさします。
干支への五行配当は、十干が天、十二支が地の状態を示すものとして位置づけられています。十干と十二支の組合せは、悉皆的ではなく、かつ、十干と十二支での配当の規則が異なるために、干支の「気」の組合せには偏りが生じます。これが、古来から(特に陰陽道筋で)暦注としての意味をもつものと見做されたのです。干支への五行の気の配当は以下のようになっています。
=================================
|木|木|火|火|土|土|金|金|水|水|
十干: |甲|乙|丙|丁|戊|己|庚|辛|壬|癸|
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
|水|土|木|木|土|火|火|土|金|金|土|水|
十二支: |子|丑|寅|卯|辰|巳|午|未|申|酉|戌|亥|
=================================
十干の日本での呼び方は、「甲」を「きのえ(木の兄)」、「乙」を「きのと(木の弟)」というように、そのまま五行説の表現になっています。干支を「えと」とよぶのもこの「兄<え>」「弟<と>」から来ているわけで、「兄」は陽、「弟」は陰を表します。
■アルゴリズム
ある日の十干は、その日ユリウス通日をjdとし、甲 = 0, 乙= 1, …, 癸 = 9として、
十干 = jd mod 10
で求められます。一方、十二支は、子 = 0, 丑 = 1, …, 亥 = 11として、
十二支 = (jd + 2) mod 10
で求められます。さらに、甲子 = 0, …, 癸亥 = 59として、十干と十二支から干支を求めるには、
(12*i + 十二支 - 十干) mod 10 = 0 となるような 0 以上 9 以下の i に対し、
干支 = 12*i + 十二支
でもとまります。
9. 六曜<ろくよう>
--------------------
六輝<ろっき>ともいいます。
起源は詳しくわかっていませんが、発祥は中国で、鎌倉時代から室町時代にかけての頃に日本に伝わったと考えられています。もともと中国では「六壬時課<りくじんじか>」という時刻の吉凶を占うものであったのですが、日本に伝わって来てから、日に割り当てる形のものになりました。実際に暦の上に姿をみせるのは江戸時代の終り頃からですが、民間に浸透し出したのは明治以降のことで、更に今日のような隆盛をみせるのは意外な事に第二次世界大戦後のことになります。
六曜は時代を経るにつれて以下のように変遷します。
室町時代 → 江戸時代天保年間 → 現在
(中国宋時代の輸入版)
大安<たいあん> 先勝<せんかち> 先勝<せんがち>
留連<りゅうれん> 友引<ともびき> 友引<ともびき>
速喜<そっき> 先負<せんまけ> 先負<せんまけ>
赤口<しゃっく> 物滅<ぶつめつ> 仏滅<ぶつめつ>
小吉<しょうきち> 泰安<たいあん> 大安<たいあん>
空亡<くうぼう> 赤口<じゃっこう> 赤口<しゃっく>
六曜の日取りのしかたは月切りで、
正月、七月 の朔日を先勝、
二月、八月 の朔日を友引、
三月、九月 の朔日を先負、
四月、十月 の朔日を仏滅、
五月、十一月の朔日を大安、
六月、十二月の朔日を赤口、
として、先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口の順に繰っていきます。
■アルゴリズム
ある日の六曜を求めるには、その日の旧暦の月日が判っている必要があります。大安 = 0, …, 仏滅 = 5として、
六曜 = (旧暦の月 + 旧暦の日) mod 6
で求められます。
10. 十二直<じゅうにちょく>
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古くは中国から伝えられたもので、江戸時代には日の吉凶をみるのにもっともポピュラーなものでした。いわば、今日の六曜のような役割を担っていたと言ってよいでしょう。暦の中段に記載される事が多かった為、暦注中段とも呼ばれます。
十二支の所で述べたように、月はその斗建の方向で定めることが可能ですが、節月において、最初にこの斗建の方向の十二支に当たる日を「建<たつ>」として、
建<たつ>
除<のぞく>
満<みつ>
平<たいら>
定<さだん>
執<とる>
破<やぶる>
危<あやう>
成<なる>
納<おさん>
開<ひらく>
閉<とず>
という順で日毎に繰っていくのが十二直です。たとえば節切りの十一月(大雪から小寒の前日まで)は建子月に当たるため、大雪の節気から数えて初めての子の日を建<たつ>とします。すなわち、日取りのしかたは、
十一月(大雪から小寒の前日まで)の最初の子の日、
十二月(小寒から立春の前日まで)の最初の丑の日、
正 月(立春から啓蟄の前日まで)の最初の寅の日、
二 月(啓蟄から晴明の前日まで)の最初の卯の日、
三 月(晴明から立夏の前日まで)の最初の辰の日、
四 月(立夏から芒種の前日まで)の最初の巳の日、
五 月(芒種から小暑の前日まで)の最初の午の日、
六 月(小暑から立秋の前日まで)の最初の未の日、
七 月(立秋から白露の前日まで)の最初の申の日、
八 月(白露から寒露の前日まで)の最初の酉の日、
九 月(寒露から立冬の前日まで)の最初の戌の日、
十 月(立冬から大雪の前日まで)の最初の亥の日、
を建<たつ>として順に繰っていくわけです。但し、節切り第一日目(つまり節の当日)は、前日の直と同じにします。
11. 九星
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古代中国の易の思想において洛書という図(3×3の魔法陣を図にしたもの)に神秘性を見て取り、この図の九つの状態にいろいろ吉凶の解釈が与えらたのが発端となっており、更に五行説とも結びついて現在の九星ができました。これは暦というよりは、非常に占いの要素が強く、単純に日取りでは吉凶が決まらずに、誕生日などと結び付けられています。
洛書は、洛水から現れた神聖な亀の甲羅に書かれていたと言われる(無論、単なる伝説です)もので、以下のようなものです。
○○○○○○○○○
●
● ● ●
● ●
○
○
○ ○ ○
○ ○○○ ○
○ ○ ○
○
● ○
● ● ●
● ● ● ●
● ● ● ●
● ○ ●
白丸は奇数(易の用語では陽数といいます)、黒丸は偶数(易の用語では陰数といいます)を示し、丸の数を数えると、
−−−−−−−
|四|九|二|
−−−−−−−
|三|五|六|
−−−−−−−
|八|一|六|
−−−−−−−
となり、縦横斜めのいずれの3つの数値の和も15の魔法陣になっていることが判ります。
さて、九星は、
一白水星、二黒土星、三碧木星、
四緑木星、五黄土星、六白金星、
七赤金星、八白土星、九紫火星
の九つよりなります。もともとは後半の〜星というのはなかったのですが、後に五行説の流行に伴い、これと付会されてこれらの要素加わったようです。
日取りのしかたですが、まず、冬至に一番近い甲子の日から、夏至に一番近い甲子の日の前日までを「陽遁」と呼び、夏至に一番近い甲子の日から冬至に一番近い甲子の日の前の日までを「陰遁」と呼びます。ここで、一白水星を1、二黒土星を2、…と言うふうに略すると、「陽遁」では陽遁初日を9として9, 8, 7, …, 1, 9, …と繰っていき、「隠遁」では隠遁初日を1として、1, 2, 3, …, 9, 1, …と繰っていきます。
基本的にはこの繰り方は360日周期で規則的に繰り返すようにみえるのですが、「冬至(または夏至)に一番近い甲子」という条件のために(干支の周期60日が9の倍数でないので)何年かごとに不連続な変化をしてしまいます。これを補正するためには何年かに一度、九星の繰り方を調整しなければならないのですが、このやり方が、暦・占いの宗派によって異なります。
一例を挙げると、約11年に1回、冬至(夏至)の直前の甲子の日から60日目の癸亥の日までの間で調節するものとし、甲子の日から継続的に隠遁(陽遁)で繰っていって30日目の癸巳の日までで止め、翌日31日目の甲午の日を前日と同じ九星としてそこから陽遁(隠遁)で繰るという方式があります。
12. 二十八宿(および二十七宿)
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12.1 二十八宿(二十七宿)の起源
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二十八宿の起源はそれほどはっきりしていません。古代中国、インド、ペルシャなどでその存在が確認されていますが、これらの関係については、中国起源説、インド起源説、独立発祥説など紛々として定説らしい定説はないといってよいでしょう。
12.1 二十八宿(二十七宿)の意味
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古代中国において二十八宿は、座標系の役割を果たしました。天球を二十八の区域に分け、その近くに在る星座の名を冠して二十八宿としたものです。二十八宿は月の位置を示し、宿内での月の位置から太陽の位置を推定して季節を正していました。なぜ「二十八」かというと、恒星月の27.3日からきているといわれています。しかし、実際に初めから28個揃っていたかどうかとなるとはっきり判っていません。しかし、少くとも古代中国において天体の位置を指し示すための座標的役割を担っていた事だけは確かなようです。このように、もともと二十八宿は純粋に天文学的なものでした。
一方、インドのものは、二十八宿と二十七宿の両方あったのですが、もともとの意味合いは中国のそれと同じ物でした。しかし、バビロニアからの占星術の影響を色濃く受けていたインドでは、二十八宿、二十七宿はしだいに占星術的な要素を強めていき、最終的には完全に占星術と化しました。
なおインドの宿と中国の宿では伝えられている星が異なっているものが多く、別物と考えたほうがよさそうです。日本の暦の上にあらわれる宿はインド源流の方で、「宿曜経<すくようきょう>」(※)として漢訳されたインド占星術を空海が日本に持ち込んだのが最初になります。宿曜経には実は二十八宿と二十七宿の両方が載っているのですが、中心として記述されているのは二十七宿で、日本でも伝わった当初は二十七宿と言う形で運用されていました。
現在、日本では一般に暦に記載されるのは二十八宿が多いのですが、密教系や陰陽道系の暦には二十七宿が載っています。二十八宿と二十七宿ではその繰りかたが全く異なります。
なお、暦関係の本では、二十八宿が中国からインドに渡って二十七宿になり、占いの要素が加味されて云々、という説明がなされている場合が多いのですが、これはあまり根拠がないようです。漢訳の時に中国古来の宿の名をインドのそれに宛てたため、中国の宿がインドの宿のもとになっているという発想が生じた物と思われます。
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(※)
正式には「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」というえらく長ったらしい名前の書物です。空海が密教関連の資料とともに日本にもたらしたのですが、内容的はインド占星術そのもので、実は直接仏教に関係するものではありませんでした(密教関連の経典には良くある事です)。しかし、これが日本では密教の教義と結びついて独特の発展を遂げ、「宿曜道<すくようどう>」という分野が生じたり、密教における「星曼陀羅」とか「星まつり(七夕のそれではありません)」などという形で根づいていきました。
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12.2 二十八宿
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中国古来の(宿曜経経由でない)二十八宿は、かなり古くから日本に伝えられていたらしく、高松塚古墳の天井の壁画には二十八宿の図が描かれています。中国での二十八宿は、七宿ずつ東西南北の四方位に配されています。この四方位は、天球上に貼りついた四方位であって、地上のそれではありません。古代中国では、ギリシアなどと同様に(あるいはそれ以上に)天上の事象と地上の事象(特に社会構造)を直接的に結び付ける考え方が一般的であり、たとえば、地上での官吏になぞらえて、星座の事を「星官」とよび、地上で東西南北が在るごとく天上においても方位を設定していました。
二十八宿は以下のようになっています。
(左下から) (左下から) (左下から)
↓ ↓ ↓
角<すぼし> 斗<ひつきぼし> 奎<とかきぼし> 井<ちちりぼし>
亢<あみぼし> 牛<いなみぼし> 婁<たたらぼし> 鬼<たまのおぼし>
氏<ともぼし> 女<うるきぼし> 胃<えきえぼし> 柳<ぬりこぼし>
房<そいぼし> 虚<とみてぼし> 昴<すばる> 星<ほとおりぼし>
心<なかごぼし> 危<うみやめぼし> 畢<あめふりぼし> 張<ちりこぼし>
尾<あしたれぼし> 室<はついぼし> 觜<とろきぼし> 翼<たすきぼし>
箕<みぼし> 壁<やまめぼし> 参<からすきぼし> 軫<みつかけぼし>
↓ ↓ ↓
(右上へ) (右上へ) (右上へ)
東方七宿 北方七宿 西方七宿 南方七宿
但し、三つ目の「ともぼし」はJISにない字で、本当は「氏」の下に「一」が入ります。「低」や「抵」の旁<つくり>と同じです。
宿曜経に漢訳されたものも同じ順番ですが、最初は昴宿からはじまります。
なお、鬼宿(23番目)の日は大吉日といわれていて、いわゆる暦注下段にも鬼宿日<きしゅくにち>とその名を覗かせています。
暦の上での二十八宿の割当て方は、上記の順番で曜日と同じ様にそのまま日毎に繰っていくだけです。
■アルゴリズム
ある日の二十八宿を求めるには、その日の「ユリウス通日」をjdとし、角 = 0, …, 軫 = 27として、
二十八宿 = (jd + 12) mod 12
として求められます。
12.3 二十七宿
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二十七宿は、インドに起源を持つわけですが、二十八宿から「牛宿」を抜いたものになっています。暦の上での割り当てかたは、旧暦の月切で、
正月 の朔日を室宿、
二月 の朔日を奎宿、
三月 の朔日を胃宿、
四月 の朔日を畢宿、
五月 の朔日を参宿、
六月 の朔日を鬼宿、
七月 の朔日を張宿、
八月 の朔日を角宿、
九月 の朔日を氏宿、
十月 の朔日を心宿、
十一月の朔日を斗宿、
十二月の朔日を虚宿、
として、二十八宿の節で示した順番に(ただし牛宿をとばして)配していきます。
■アルゴリズム
ある日の二十七宿を求めるには、その日の旧暦の月日が判っている必要があります。婁 = 0, …, 奎 = 26として、{24,26,1,3,5,7,10,13,15,17,20,22}という内容の配列 M27 を用意したうえで、
二十七宿 = ( M27の [旧暦の月] 番目の要素 + 旧暦の日 ) mod 27
として求められます(ちょっと美しくないですね)。
13. その他暦注(雑注)
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暦注といわれるもののなかで、多くを占めるのが、道教や陰陽道起源のもので、更にそこから民間レベルで派生したものや、仏教起源のものなどがいろいろあるわけですが、これらは普通吉凶と結び付けられています。吉日を選(撰)ぶための日取りのしかたを撰日<せんじつ>といい、暦注を指し示すかわりに、撰日という言い方で代用する場合が在ります。
どちらにしても、要は迷信ですので、占い方面の分野を除いては、現代社会の中ではあまり聞かれなくなったものが多いのも事実です。
13.1 八専(はっせん、はちせん)
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六十の干支のうち、干支ともに五行の「気」が同一である比和の日は十二日存在するのですが、そのうち、八日(壬子・甲寅・乙卯・丁巳・己未・庚申・辛酉・癸亥)が壬子から癸亥の日までの十二日間に塊って存在するため、この期間は八専と呼ばれて特別なものと見做されました。因みに、十二日間のうち、比和でない四日(癸丑・丙辰・戊午・壬戌)は、八専の間日<まび>といいます。陰陽五行説では、干支、すなわち、天地の「気」が比和のときは、「気」が重なって偏りが生ずるため、吉はますます吉に、凶はますます凶にというふうに解釈できますが、暦の上ではなぜか、凶の方が強調されて、現在に到っています。
八専の日取りは不断(※)で、壬子から癸亥の日までの十二日間です。初日壬子の日を「八専始め」、最後の癸亥の日を「八専終い(あるいは八専終り)」といいます。
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(※)
撰日が干支のみによって決まることを、節切りや月切りに対して、「不断<ふだん>」といいます。
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13.2 十方暮<じっぽうぐれ>
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十方暮は八専と同様に、干支に配当される五行の気に基く撰日ですが、八専の場合と異なり、干支の気が相剋の関係にある日が塊っている期間です。十方暮の期間中、このようなの日は八日(甲申・乙酉・丁亥・戊子・庚寅・辛卯・壬辰・癸巳)存在します。八専同様、相剋でない二日(丙戌・己丑)を間日といいますが、なぜか八専の間日のようには取り沙汰されません。十方暮の期間は干支、すなわち、天地の「気」が相剋であるため、万事うまくかない日といわれています。
十方暮の日取りは不断で、甲申から癸巳の日までの十日間です。初日甲申の日を「十方暮入り」といい、終りの癸巳の日を「十方暮明け」といいます。
13.3 三隣亡<さんりぼう>
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もともとは、「三輪宝」と記し、建築、棟上げに吉という日だったのですが、いつのまにか、「三隣亡」の字が宛てられ、「この日に建物をたてると三軒隣まで火事になる」という、建築業にとっての凶日になってしまったものです。参考文献(1)の説では、もともと「建てるによし」と書かれていたものが「建てるにあ(悪)し」と間違えて伝えられたのが原因ではないかとされています。
三隣亡は、節切りで決められる暦注で、
正月、四月、七月、十月 の亥の日
二月、五月、八月、十一月の寅の日
三月、六月、九月、十二月の午の日
が三隣亡に当たります。
■アルゴリズム
ある日が三隣亡に当たるかどうかを調べるには、その日の節月と十二支をもとに、子 = 0, 丑 = 1, …, 亥 = 11として、
((節月 mod 3) = 1 and 十二支 = 11) or
((節月 mod 3) = 2 and 十二支 = 2) or
((節月 mod 3) = 0 and 十二支 = 6)
の判定条件がtrueかどうかでわかります。因みに判定条件をどうしても一行に収めたいなら、
x = (節月+1) mod 3 とおいて、
十二支 = 2 + 3*x + (x*(x+1))/2
の判定条件でも同等の結果が得られます(「亥」ではなく「戌」ならもっと簡単なのですが)。
13.4 天一天上<てんいちてんじょう>
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昔、方角の吉凶禍福を司る「天一神」という神が想定されました。この神は一定期間毎にその在す方角を変えるとされ、その方角がその期間中忌むべき方角となるわけです。しかし天一神はある特定の期間だけ天上で過ごすので、その期間だけは地上での方角に関する禁忌がなくなるとされました。この期間を天一天上といいます。天一神は、日に割り当てられた六十の干支のうち、己酉から壬辰までの四十四日を下界で過ごし、そして、癸巳の日に天上へ帰り、それから戊申の日までの十六日間は天上で過ごすとされています。
天一天上の日取りは不断で、癸巳の日から戊申の日までの十六日間です。
13.5 三伏<さんぷく>
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夏の暑い盛りの庚の日を三日選んで初伏、中伏、末伏とし、これを総称して三伏といいます。夏は、五行の気でいうと火性が非常に強く(直観的にわかりますね)、一方庚<かのえ>は「金<か>の兄<え>」で「金」の属性をもっていますが、金と火は「火剋金」で相剋、つまり相性が悪いため凶であるといわれています。他の季節にはこれに当たるものがなく、なぜ夏にだけこのようなものがあるのか今ひとつはっきりしません。推測ですが、夏の暑い時候に体調を崩しやすいことを、五行説と結び付けて説明しているのかもしれません。
初伏、中伏、末伏の日取りは、
初伏は夏至以降の第三回目の庚の日、
中伏は夏至以降の第四回目の庚の日、
末伏は立秋以降の第一回目の庚の日、
というふうに割り振ります。このほかにも、いくつか定義が在るようですが、「媛栗暦」では、この定義にしたがっています。
■アルゴリズム
ある日が三伏に当たるかどうかを調べるには、当日の「ユリウス通日」をjd、夏至の「ユリウス通日」をjdg、立秋の「ユリウス通日」をjdrとして、
十干 = 庚 かつ (20 <= jd - jdg) and (jd - jdg <= 29) がtrueなら初伏、
十干 = 庚 かつ (30 <= jd - jdg) and (jd - jdg <= 39) がtrueなら中伏、
十干 = 庚 かつ (00 <= jd - jdr) and (jd - jdr <= 09) がtrueなら末伏、
となります。
13.6 一粒万倍日<いちりゅうまんばいび>
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一粒の籾が万倍にも実るという意味の吉日で、民間の間でうまれたものです。この日に何かを行った結果が後に万倍に実ると解釈され、万事を始めるによい日とされていますが、この日に凶事を行うと、逆に凶が万倍に成るのでよくないとされています。
一粒万倍日の日取りは、十二支をもとに節切りで決められ、
正月の 丑・午の日
二月の 酉・寅の日
三月の 子・卯の日
四月の 卯・辰の日
五月の 巳・午の日
六月の 酉・午の日
七月の 子 の日
八月の 卯・申の日
九月の 酉・午の日
十月の 酉・戌の日
十一月の亥・子の日
十二月の卯・子の日
となっています。
■アルゴリズム
ある日が一粒万倍日に当たるかどうかは、その日の節月と十二支をもとに、子 = 0, …, 亥 = 11として、
(十二支 = (節月 mod 12)) or (十二支 = ((節月+1) mod 4)*3)
の判定条件がtrueかどうかでわかります。
13.7 不成就日<ふじょうじゅにち>
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万事に成就しない日で、事を起こすのはよくないといわれる日で、一粒万倍日同様、民間の間でうまれたものです。
不成就日の日取りは、暦注では珍しく月切り(旧暦の月)で決められ、
正月・七月の 三、十一、十九、 二十七日
二月・八月の 二、十、 十八、 二十六日
三月・九月の 朔、九、 十七、 二十五日
四月・十月の 四、十二、二十、 二十八日
五月・十一月の 五、十三、二十一、二十九日
六月・十二月の 六、十四、二十二、晦日
となっています。
■アルゴリズム
ある日が不成就日に当たるかどうかは、旧暦の月をM、日をDとして、
(( (M - 1) mod 6 <= 2 ) and ( (D + ((M - 1) mod 6) - 3) mod 8 = 0 )) or
(( (M - 1) mod 6 >= 3 ) and ( (D - ((M - 1) mod 6) - 1) mod 8 = 0 ))
の判定条件がtrueかどうかでわかりますます。
13.8 臘日<ろうにち>
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もともと古代中国で、一年の最後の日として臘祭という猟の祭を行っていたのが日本に伝わったものです。もともと、古代中国では(おそらくギリシア、バビロニアなどでも)冬至を年の基点とする考え方が在り、これによって、冬至に近いある日をもって、年の最後の祭としたのです。
臘日の日取りは、一般に大寒に近い辰の日をさします。ほかにも定義があるようですが、「媛栗暦」ではこの定義にしたがっています。
■アルゴリズム
ある日が臘日に当たるかどうかは、当日の「ユリウス通日」をjd、大寒の「ユリウス通日」をjdtとして、
十二支 = 辰、かつ、abs(jd - jdt) <= 5 or (abs(jd - jdt) = 6 and jd < jdt)
(但し、abs(x)はxの絶対値を表す)
の判定条件がtrueかどうかでわかります。
13.9 犯土<つち>
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犯土にあたる日は、土をいじると凶とされていますが、もともとは、土を休める意味で設けられたものらしいです。
犯土の日取りは不断で、丁丑の日を挟んで、庚午から丙子の日までを大犯土<おおつち>、戊寅から甲申の日までを小犯土<こづち>として定められています。
13.10 庚申<こうしん>
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これは干支のひとつですが、八専の第九日目にあたり、五行の気がともに「金」の比和の日です。
古来からの中国の伝説で、庚申の夜には、人間の体内(頭、腹、足にある丹田)に巣食って所業を監視している三尸虫(上尸彭侯子、中尸彭常子、下尸命児子)が、宿主の人が眠っているあいだに天に登ってその人の悪事を事細かに天帝に報告し、天帝はその報告に基いてその人の寿命を縮めていく、といわれていました。これは、要するに人間の寿命や老いを説明する為の知恵の一種だったのですが、逆に何にも悪い事をしなければ、永遠に生きられるということも言えるので、仙人の存在証明のような意味もありました。しかし、一般の衆生にとって、悪事に思いあたる節がないわけはないので、古くはこの日の夜は宴などして夜を徹し、三尸虫が天に登るのを防いで、少しでも長く生きようと考えたのです。これを「庚申待<こうしんまち>」、または「宵庚申<よいごうしん>」といいました。庚申は日本においては信仰として栄え、江戸時代には「庚申さん」として非常に流行ったものらしいのですが、今日ではほとんど見られなくなっています。「寅さん」で有名な葛飾柴又の帝釈天も、庚申信仰と結び付きがあるそうです。
13.11 天赦日<てんしゃにち>
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百神が天に昇り、天が万物を生養し、その罪を許すといわれている日で、吉日です。
天赦日の日取りは、
立春後の戊寅、
立夏後の甲午、
立秋後の戊申、
立冬後の甲子、
となっています。
■アルゴリズム
ある日が天赦日に当たるかどうかは、干支を、甲子=0, 乙丑=1, …, 癸亥=59として、
干支 = (2*trunc([15*{trunc( ( 節月-1 )/3 ) + 1}] / 2 ) mod 60
(但し、trunc(x)はxの整数部をあらわす)
の判定条件がtrueかどうかでわかります(無理してますね(笑))。これは、上記の日取りを節切りで、
正月から三月の間 (すなわち、暦上の春)の戊寅(14)、
四月から六月の間 (すなわち、暦上の夏)の甲午(30)、
七月から九月の間 (すなわち、暦上の秋)の戊申(44)、
十月から十二月の間(すなわち、暦上の冬)の甲子(0)、
と言い換え、春 = 1, 夏 = 2, … として干支を15の季節倍数(変な造語!(笑))っぽく見做した後、どういうわけだか癸巳(29)じゃなくて甲午(30)なので、2で割って小数点以下切捨てをして再び2倍するという形をとったものです。
14. 暦注下段
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昔の暦にはさまざまな暦注が記されていましたが、なかでも一番下の段にあるものを「暦注下段<れきちゅうかだん>」あるいは単に「下段」と呼んでいました。下段は非常に迷信的要素が強いので国家によって何度か禁止されたものの、民間の間では秘かに記載されつづけました。実際上、明治の太陽暦への改暦の時点でも、一時完全に姿を消したかにみえましたが、各地の神社などでの暦の発行が許可されるようになって再び一部の暦に復活しました。
なお、アルゴリズムはあまりにも意味がなさそうなので(笑)、略します。
14.1 黒日<くろび>
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受死日<じゅしにち>ともいいます。黒日の日にはほかの暦注を見る必要なしと言われる程、最低の大悪日とされていました。黒日の名称は、昔の暦で凶の暦注に「●(黒丸)」を表記したことからきています。百事に忌むべき日で、とくに見舞、服薬、鍼灸などの医事、旅行に凶といわれていますが、葬式のみはよしとされています。
黒日の日取りは節切りで、
正月は戌の日、二月は辰の日、三月は亥の日、
四月は巳の日、五月は子の日、六月は午の日、
七月は丑の日、八月は未の日、九月は寅の日、
十月は申の日、十一月は卯の日、十二月は酉の日、
となっています。
14.2 十死日<じゅうしにち>
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黒日に次ぐ凶日といわれています。由来ですが、昔、宝頂山という山の麓に久命<くめ>という法王がおり、その王と九人の王子がすべて酉・巳・丑の日に死んだという伝説からきています。この日は百事に凶で、黒日と違って婚礼・仏事・医事をはじめ、葬式もすべて凶とされています。
十死日の日取りは節切りで、
正・四・七・十月の酉の日、
二・五・八・十一月の巳の日、
三・六・九・十二月の丑の日、
となっています。
14.3 帰忌日<きこにち>
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帰忌というのは天ぼう星(「ぼう」は「倍」の偏を「木」へんに置き換えた字)の精で、帰忌は下記の日取りで天より降りて、人家の門に居坐って、家人の帰宅を妨害するといわれていました。婚礼や旅からの帰宅などに凶といわれています。
帰忌日の日取りは節切りで、
正・四・七・十月の丑の日、
二・五・八・十一月の寅の日、
三・六・九・十二月の子の日、
となっています。
14.4 血忌日<ちいみにち>
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血忌とは梗河星(うしかい座の三星)の悪い精で、三つの星は各々「殺忌<さつき>」「日忌<ひき>」「血忌<ちき>」とよばれていました。名称のとおり、何事にも血をみることに凶の日で、鍼灸、狩猟などは忌むべきとされています。
血忌日の日取りは節切りで、
正月は丑の日、二月は未の日、三月は寅の日、
四月は申の日、五月は卯の日、六月は酉の日、
七月は辰の日、八月は戌の日、九月は巳の日、
十月は亥の日、十一月は午の日、十二月は子の日、
となっています。
14.5 重日<じゅうにち>
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重日とは、陰陽のうちの、陽が重なるという巳の日、及び、陰が重なるという亥の日をさします。この日に行ったことは重なって生じるとされ、吉事は吉、凶事は凶とされています。但し、婚姻は回を重ねることになるので忌むべき日とされています。
14.6 復日<ふくにち>
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由来ははっきりしませんが、吉凶の内容としては、重日とほぼ同じです。
復日の日取りは節切りで、
正・七月の甲と庚の日、
二・八月の乙と辛の日、
三・六・九・十二月の戊と己の日、
四・十月の丙と壬の日
五・十一月の丁と癸の日、
となっています。
14.7 天火日<てんかにち>
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陰陽五行説では五行の気の一つ「火」を「天火」「地火」「人火」の三つにわけますが、そのうち、天火が配当される日を天火日といいます。天火とは天に火気が盛んである様子を意味し、この日に棟上げ、屋根葺きなどは必ず火災になるといわれています。
天火日の日取りは節切りで、
正・五・九月の子の日、
二・六・十月の卯の日、
三・七・十一月の午の日、
四・八・十二月の酉の日、
となっています。
14.8 地火日<じかにち>
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天火日に対し、地火が配当される日を地火日といい、大地に火気が大いに盛んとされ、柱立、定礎、播種などに凶の日とされています。
地火日の日取りは節切りで、
正月は巳の日、二月は午の日、三月は未の日、
四月は申の日、五月は酉の日、六月は戌の日、
七月は亥の日、八月は子の日、九月は丑の日、
十月は寅の日、十一月は卯の日、十二月は辰の日、
となっています。
14.9 凶会日(くえにち、くゑにち)
----------------------------------
凶会日は陰と陽の二気が調和せず、万事に忌む日とされており、婚礼、旅行、神事、仏事、種蒔きなどに凶とされています。
凶会日の日取りは月切りの暦月と干支によって、
正月の 辛卯、甲寅
二月の 己卯、乙卯、辛酉
三月の 甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、壬申、戊申、庚辰、甲申、丙申、甲辰、庚申
四月の 戊辰、辛未、癸未、乙未、己亥、丙午、丁未、戊午、己未、癸亥
五月の 丙午、戊午
六月の 己巳、丙午、丁未、丁巳、己未
七月の 乙酉、甲辰、庚申
八月の 己酉、乙卯、辛酉
九月の 甲戌、辛卯、壬辰、癸巳、甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、庚戌、甲寅
十月の 乙丑、己巳、丁丑、戊子、己丑、戊戌、己亥、辛丑、壬子、癸丑、丁巳、癸亥
十一月の戊子、丙午、壬子
十二月の戊子、丁未、壬子、癸亥
という形で定まります。
14.10 往亡日<おうもうにち>
-----------------------------
天の荒神の守る日といわれ大悪日とされています。文字通り「往きて亡くなる<かえらず>」という日なので遠行などは凶とされています。
往亡日の日取りは節切りで、
正月の七日目、二月の 十四日目、三月の 二十一日目、
四月の八日目、五月の 十六日目、六月の 二十四日目、
七月の九日目、八月の 十八日目、九月の 二十七日目、
十月の十日目、十一月の二十日目、十二月の三十日目、
となっています。
14.11 神吉日<かみよしにち>
-----------------------------
文字通り神事に吉という日ですが、不浄事は凶とされています。
神吉日の日取りは不断、つまり干支のみで決まり、
乙丑、丁卯、己巳、庚午、壬申、癸酉、丁丑、己卯、壬午、甲申、
乙酉、戊子、辛卯、甲午、丙申、丁酉、己亥、庚子、辛丑、癸卯、
乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、辛亥、壬子、乙卯、戊午、己未、
庚申、辛酉、癸亥
の三十三日とされています。
14.12 大明日<だいみょうにち>
-------------------------------
天地の隅々まで太陽の照らす吉日とされており、すべての吉事に吉で、建築・移転・旅行などにとくによい日とされています。
大明日の日取りは不断、つまり干支のみで決まり、
己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、丁丑、己卯、壬午、甲申、丁亥、
壬辰、乙未、壬寅、甲辰、乙巳、丙午、丁未、己酉、庚戌、辛亥、
丙辰、戊午、己未、庚申、辛酉
の二十五日とされています。
14.13 天恩日<てんおんにち>
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文字通り天の恩沢がある日といわれており、吉事を行うには大吉ですが、凶事は忌むべきとされています。
天恩日の日取りは不断、つまり干支のみで決まり、
甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、
己酉、庚戌、辛亥、壬子、癸丑
の十五日とされています。
14.14 母倉日<ぼそうにち>
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母倉日は、母が子を慈しむように天が人を慈しむ日という意味の吉日で、とくに婚姻には大吉で、普請や造作もよしとされています。
母倉日の日取りは節切りで、
正・二月の子と亥の日、
三・六・九・十二月の巳と午の日、
四・五月の寅と卯の日、
七・八月の丑と辰と未と戌の日、
十・十一月の申と酉の日、
とされています。
14.15 月徳日<げっとくにち>
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陰陽五行説では節切りの月にもそれぞれ五行の気が配当されており、この気に従う陽の日、すなわち十干が「〜の兄<え>」である日(陽干)を月徳日といいます。家の増改築や、土にかかわることに吉とされている日です。
月徳日の日取りは節切りで、
正・五・九月は気が「火」なので、丙<ひのえ>の日、
二・六・十月は気が「木」なので、甲<きのえ>の日、
三・七・十一月は気が「水」なので、壬<みずのえ>の日、
四・八・十二月は気が「金」なので、庚<かのえ>の日、
となっています。
14.16 歳下食<さいげじき>
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流星の一種といわれる天狗星の精が下界に降りて来て食事をする日で、この日には人間の食事の滋養を天狗星の精が吸い取ってしまうといわれているため、必要以上の大食や大酒は避けるべきであるとされてます。また、俵の口開け(今日風に言うと、米の袋を新たにあけること)や、種蒔き、草木を植えるなど、食事につながる事を起こすのもよくないと言われています。
歳下食の日取りは他の暦注と異なって、年の十二支と干支によって定まり、
子の年の丁丑の日、
丑の年の庚寅の日、
寅の年の丁卯の日、
卯の年の壬辰の日、
辰の年の丁巳の日、
巳の年の丙午の日、
午の年の丁未の日、
未の年の庚申の日、
申の年の丁酉の日、
酉の年の丙戌の日、
戌の年の辛亥の日、
亥の年の庚子の日、
となっています。
15. 囈
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○旧暦と二十四節気のこと
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「媛栗暦」では当初、旧暦や二十四節気を全て天体位置計算から求めようと悪戦苦闘していたのですが、やはり HyperTalk のスクリプトでこのような(怒濤のパラメータ数と三角関数が乱舞する近似)計算をリアルタイムにこなすのは、速度的にも演算精度の面でも荷が重すぎるという結論に達し、最終的には、あらかじめ計算済のデータ表から呼び出す形式にしました。したがって、もとにした旧暦データと二十四節気・雑節データの精度によっては、間違った暦注が出てくる可能性があります(基本的には正しく動くはずですが)。あらかじめご了承ください。
○雑節のこと
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「媛栗暦」では、雑節のうち冬土用、節分、春彼岸、春土用、入梅、半夏生、夏土用、秋彼岸、秋土用は、あらかじめ計算済のデータから、読み込む形態をとってます。
実は「媛栗暦」では、社日を雑節ではなく暦注に入れてます。これは、社日以外の二十四節気・雑節が、他の二十四節気・雑節と同じ日に重なることはないのに対して、社日だけは、春分・秋分・春彼岸・秋彼岸の四つと重なる可能性があることと、十干と結びついている点がどうも暦注っぽい(?)からです(あまり理由になっていないような気もしますが)。
○ユリウス通日のこと
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「媛栗暦」では、ユリウス通日は julian という自作XFCNとしてインプリメントしています。julian のsyntaxは、
julian(year, month, day)
で、例えば、1994年1月12日のユリウス通日は、
julian(1994,1,12)
として求められます。これによって求まる数値は整数ですが、正式には、これに0.5を加えたものが経度0の地域での値となり、さらに他の地域では時差も考慮して小数点以下を調整しなければなりません。
基本的に「媛栗暦」では1980年〜2060年しかサポートしていないので、理科年表に載っている値とうまく辻褄があうように調整して計算しているだけです。過去に溯ってユリウス通日を計算する場合には、ユリウス暦から現行の西暦であるグレゴリオ暦への改暦を考慮に入れなければならないので、若干ややこしい計算になります。したがって、保証できるのはグレゴリオ暦が適用できる範囲に限られます。未来方向でいえば、改暦や日付調整などがない限り、おそらくHyperCardなりMacなりが絶滅するまで(笑)、問題なく使えると思います。使いたい方はResEditなど利用して自由に使ってください。
○[テイ]宿のこと
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二十八宿の三番目の宿である[テイ]宿<ともぼし>の字はJISにありませんが、「媛栗暦」では、二十八(二十七)宿を表示するフィールドに重ねて、小さい「一」を表示するためのフィールドを設けることで対処しています(「氏」の下に「一」という単純な組合せだからこそ可能でした)。
○暦注のこと
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八専は、正確には「八専始め」の壬子の日から「八専終い(あるいは八専終り)」の癸亥の日までの十二日間を指しますが、市販の暦には、八専始めの日のみに「八専(始め)」と記載される場合が多いので、「媛栗暦」でもこれにしたがっています。
十方暮、天一天上、大犯土、小犯土なども八専同様、本来期間そのものを指しますが、「媛栗暦」では、始めの日のみにこれらを記載しています。
16. 参考文献
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(敬称略にて、ご了承ください)。
(1) 岡田芳朗・阿久根末忠編著 現代こよみ読み解き事典 柏書房
(2) 須賀隆著 暦相互変換プログラム WHEN.EXE Ver 2.07b1 ドキュメント(Nifty:FSPACE)
(3) 平木場泰義著・神宮館編集部編 平成六年 神宮館高島暦 神宮館
(4) 神宮館編集部編 天保新選 永代大雑書萬暦大成 神宮館
(5) 国立天文台編 理科年表 昭和63年版・平成5年版・平成6年版 丸善
(6) カルチャーブックス編集部編 講談社カルチャーブックス 365日「今日は何の日か?」事典 講談社
(7) 西角井正慶編 年中行事辞典 東京堂出版
(8) 永田久著 暦と占いの科学 新潮社
(9) マーチンガードナー著・大熊正訳 数学ゲームIV 日経サイエンス社
(10) Lumiere著 『敬老の星』天体位置・占いデータ計算の解説書 PLATECH.DOC (Nifty:FFORTUNE)
(11) 渡邊敏夫著 暦(こよみ)入門 雄山閣
(12) 矢野道雄著 東京美術選書49 密教占星術 −宿曜道とインド占星術− 東京美術
(13) 山崎昭・久保良雄著 講談社ブルーバックス 暦の科学 講談社
(14) 青木信仰著 UP選書 時と暦 東京大学出版会
(15) 橋本敬造著 東方選書22 中国占星術の世界 東方書店
(16) 日本の祝祭日を考える会編 てんでんブックレット3 日本の祝祭日を考える 展転社
(17) BooksEsoterica 1 密教の本 学研
(18) BooksEsoterica 6 陰陽道の本 学研
(19) 飯島忠夫著 飯島忠夫著作集3 支那古代史と天文学 第一書房
(20) 岡田芳朗著 明治改暦 −「時」の文明開化− 大修館書店
暦に関する知識と旧暦や節、暦注など全般の日取り・吉凶・解説について、
(1)、(2)、(4)、(8)、(11)、(13)、(14)、(18)、(19)、(20)
を参考としました。中でも特に二十八宿(二十七宿)については、
(12)、(15)、(18)、
干支に関しては、
(15)、(19)、
暦に必要な天文知識については、
(5)、(10)、(11)、(13)、(14)、
を参考としています。
また、「媛栗暦」本体制作に当たっては、日取りのデバッグに、
(3)、(5)、
「KOYOMI」ファイル作成時に記念日や行事などの情報を得るのに、
(1)、(3)、(6)、(7)、(16)、
を参考とし、更にイースター(復活祭)の日付を得るために、
(9)、
に載っているアルゴリズムを利用しました。
(1) は特に日本の暦に関しての情報が広くカバーされており、若干くどい部分や未整理な部分があるものの、平易で理解しやすくまとめられています。一家に一冊あって損はない本です。
(2) は MS-DOS 上で走る WHEN.EXE という暦法変換プログラムのオンラインドキュメント(when.doc, china.doc)ですが、古今東西の暦に関する記述がなされており、氏の広範な知識と強い研究心には脱帽します。専門家の方なんでしょうか?
(3) は毎年8月頃発行される暦で、大抵の本屋に置いてあります。白地の表紙の冊子です。記載されている占いの内容が微妙に異なるいくつかの種類の本がありますが、暦の内容はどれも基本的に同じです。
(4) は(3)と同じ神宮館の本で、暦注・占いなどについての詳しい解説がある本です。古来からの暦の解説を集成して読みやすくした(といっても旧仮名遣いですが)ものです。暦注の類がものすごく大量に載っているのですが、日取りの正確さを欠いている場合が多いので、参考程度に見ました。また、今では一般に知られてないような迷信の類も沢山あって、民俗学が好きな人には面白いかもしれません(ただし、個々の記事の出典が明らかでないのが難点ですが)。
(5) は知ってる方も多いと思いますが、暦・天文・気象・物理・化学・地学・生物と科学の広い範囲にわたってのデータを収録した本です。毎年発行されています。
(6) はフルカラーの小冊子ですが、一年分の表に細かく行事や記念日の情報を盛り込んであり、けっこう楽しめる本です。本というより図鑑に近いかもしれません。記念日や行事などの情報は主にこの本から得ました(但し、日取りの間違った記述もいくつかありました)。
(7) は年中行事や暦注などについて日本を中心に網羅的に収録したものです。実は、この本は昭和三十三年初版で資料としては多少古く、現在も記載行事が行われているかどうか保証がないのと、分量的に膨大で取捨選択の基準を設けるのが困難(面倒ともいう(笑))なことから、「KOYOMI」ファイルにはその内容をほとんど載せていません。主に参考にしただけです。ただし、キリスト教の移動祝日の参考には使いました。
(8) は古今東西の暦や占いに関する知識が読み物として面白くまとめられており、暦に関する素朴な疑問についての答を多く用意しています。
(9) は日経サイエンスの別冊ですが、マーチンガードナー氏による数学パズル・数学の話題などが載っており、そちら方面が好きな方にはおもしろい本だとおもいます。
(10)は『敬老の星』というホロスコープ表示を行うフリーウェアの付属ドキュメントという位置付けで、天文学的知識をまとめあげたものです。ホロスコープの作成を前提とした文章で、占星術に関する基礎的な説明が若干省かれてはいますが、全体として平易に書かれており、よくここまでまとめあげたものだと感心します。
(11)は暦に関する全般的な知識について、暦法と暦書とにわけて解説してある本です。戦前から「暦のすべて」として出ていた本の版を起しなおしたものですが、非常にバランスのとれた記述で、特に暦法についての記述は要を得ており非常に参考になりました。ただし、暦注などに関しては、渡邊氏は、「非科学的」なので「一刻も早く暦の上から払拭すべき」という姿勢を貫いておられます。現在もなお六曜などで婚礼などを決めたりしているのは、たしかに非科学的ではありますが、無理になくす必要もないとは思います。私見ではありますが、実際問題、人々が必要と感じているうちはなくならないでしょうし、おそらくは社会心理学的な要因も加味して考えればそれなりの意味は存在すると考えています。
(12)は二十八宿と二十七宿の関係を調べてるときに見つけた本です。本屋さんでは占い関係のところでよくみかけるのですが、実は非常に学術的な内容の本で、いわゆる「宿曜経」を通じ、インドにおける占星術について、西洋などとの影響関係もふくめてかなり専門的な内容が記述されています。逆に宿曜占いの実践的内容を期待した人には、まるで的外れな本ということになります。本屋さんのセンスが問われます。
(13)は暦に関する天文的な知識を網羅した本で、数式もほとんど出てこないので、万人向けの本といえます。暦と銘は打っていますが、天文学の一般的な基礎知識を習得するという目的にも充分こと足ります。
(14)は暦法や時刻について非常に詳しい解説のなされた本です。途中対話形式で話を進めるなどといった工夫も見られ、読み物としてもけっこうおもしろく読むことができます。
(15)は題名のとおり中国の占星術についての本で、中国の星座や二十八宿などについて詳しく書かれており、古代中国における天文学についての知見が得られる本です。天文学・占星術の本は非常にたくさんあるんですが、中国の天文学となると(一般書店では)途端に数が少なくなるので、貴重な情報源になっています。
(16)は薄い小冊子で、日本の祝祭日の本来的意味と在り方についての論議をまとめた本です。普段あらためて祝祭日の意味を考える機会はそうないので、なかなか新鮮な感じがしました。今回はこの本に載っていた世界の祝祭日についての記事を参考にしました。
(17)、(18)はともに学研から出ている東洋の宗教に関するムックのシリーズで、なかなかまとめ方がよくて(当たりハズレはあるが)、こっち方面の興味があって、かつ、初心者という人に向いている本です。他に「道教の本」「神道の本」などいろいろ出ています。今回は、密教筋の二十八宿の記事と陰陽道筋の暦注の記事を参考にしました。
(19)は、戦前の本の復刻本で、古代中国における天文暦法に関して詳しい論説を行っている本です。相当大きな本屋でもなかなか置いてないかもしれませんし、第一高いので、図書館で閲覧する方が良いでしょう(私は買いましたが)。まあ、暦に興味のない人には全くおもしろくない内容だと思いますが。
(20)は、最近発刊されたもので、明治の改暦に関して、その真相や反響、明治のころの太陽暦の啓蒙など、微に入り細に入り記述されています。引かれている当時の文献の数もかなりの数にのぼるので、全てを読み下すには多少気合いが必要ですが、拾い読みでも充分楽しめます。暦の事や明治時代の世相などに興味があるなら、買いです。